懐かしき故郷(愛媛県西条市壬生川町(にゅうがわ))の
2011年10月16日(日)現在の記録
 


先日、母校愛媛県立小松高等学校のクラス会に出るために、
故郷に帰り、朝早くから懐かしい街を歩き回ってきました。
ものすごく変わっているので驚いたり、故郷の逞しさを感じたりしました。
その後、地元の幼友達のナオシや関東の幼友達のモーなどが色々と
『故郷友人情報』をメールしてくれるので、すごく故郷を想うことが増えました。
自分の子供や孫へ「我が家のルーツを知らせるために」掲載します。
もちろん、親しい友人達に我が故郷の自慢(?)を見てもらうためでもあります。


 私の元の家の近くから見た道前平野と四国山脈と霊峰石鎚山です。 
(標高1,982m西日本最高峰)
 この山々から下りてくる清涼な地下水が打ち抜き井戸から吹き出る
水のすごく美味しい町なんです。
 山脈の左中腹に見える白い建物群が、母校小松高校。
この石鎚山に恥ずかしくないように生きて行こうと育つのがこの地の人々です。
 

 高須の浜・・・山の反対方向にはこの浜があるのです。
 遠浅の海で、引き潮にはず〜と〜ず〜と遠くまで、白い砂浜になるのです。
 満ち潮には海水浴、干潮にはハマグリや姫貝やマテ貝やアサリといった貝や車
 エビや小さいエビを無茶苦茶獲るんです。
 まだ潮がある時にはワタリガニを獲るのです。壬生川のワタリガニは日本一うまい蟹だと
 思っております。
 向こうには平市島(へいちじま)が見えるんです。 
 また、生きた化石と云われるカブトガニも踏んで足が痛いほどいるんです。
 浜に草が生えている。これではま〜たぶん、私の話は昔話になっていると思いますが、
 良い時代にこの町の子供でいたことを喜びます。

  懐かしく想い出の場所を探して町内を散策しました。
 子供の時分は大きな町、大きな通り、大きな川と思っていたものが、
今見ると本当に小さな町、 狭い通り、細い川なんです。
私が生まれて高校3年まで育った「蛭子町」
右の家が父の実家(本家)、 この辻の一番向こう左が
私の生家です。
この狭い短い辻には、鍛冶屋、自転車屋、
豆腐屋、ふうや、散髪屋雑貨屋、塩屋、
野菜屋、風呂屋、銀行などがあったんです。
そして、遊び友達がいっぱいいました。
この駐車場になっているところが私の生家です。
通りの広さは向こうに見える家の前の道路幅
だったのです。狭いなあ
!


この狭い蛭子町で父と母はゴム靴とタイヤの
卸業をしていたんです。
真ん中で腕組みしているのが父です。
もちろん、前の丸坊主が私です。
懐かしい「アサヒ地下タビ」や「ブリチ”ストンタイヤ」の看板が見えます。
「ヒデヒデ」と言って可愛がってくれた社員さん達。
懐かしいなあ!

生家のすぐ近くにあったこの小さな川はすごく想い出です。
だけど、こんなに小さな川だったかなあ?
左の車の手前が「いもちん」 という駄菓子とおもちゃを売っている子供に人気の店でした。
ここの「かばやの景品付きキャラメル」が欲しいから
私は、銅線を拾って売ったり、ハマグリを売ったりしたんです。
 この川の手前右に小学校から高校までいつもいっしょだった来松文具店の克っちゃんの家があります。
この川の思い出は、我が家の前の自転車屋で、
溶接に使うガスを出すカーバイトをもらって(?盗んで?)それを、上流の池に放り込んだらナマズやウナギが浮いてくるんです。
その戦果を自慢そうに自転車で持って帰ってきたら、
この川で沢山の人が浮いて死んでいるウナギやナマズ、フナなどを獲っているんです。
私も興奮して覗き込んだら、頭から落ちて、下の石に
顔を打ち付けて大怪我をしたんです。
その時にできたのが私の左目の横の3pの傷です。
(??)私は、この時のこの川を死んで流れている魚が、私が流したカーバイトのせいだとはずっと歳とるまで分かりませんでした。(アホな子供なんです)
本町通りに小学校があったが、今は無くなって
いた。しかし、学校の帰りによく遊んだ
「天神さん(宇賀神社)」は健在だった。
この神社に入ると「お〜いお茶の伊藤園」の
会長・社長が大きな寄進をしていることが分かった。
友人のナオシ君に聞いたら、創業者の母が地元の
大新田の出身らしい。やはりお茶なら
伊藤園にしようと思った。

この神社は、「天満神社と宇賀神社」の
二つの神さんが祭られているようだ。
そういえば子供自分には「天神さん」と
「宇賀神社」の二つの名前をを呼んでいた。
私の親など年寄りはどうも宇賀神社に
親しみをもって宇賀神社さんと言っていた。
本町通りを海の方に歩くと「わたや旅館」があった。
今も営業しているかどうか分からないが、私と妻が昭和45年5月に結婚披露宴をした壬生川唯一の料理旅館です。
和の座敷だったので、正座がしんどかった。
仲人が親戚の伯父さんだったので、式の途中で、「はよ行かしたレ」と言ってタクシーを呼んで、皆に見送られてさっさと道後温泉に行った。
えーかげんな伯父さんの仲人で助かったけど、披露宴で何をしたのか?さっぱり覚えていない。
写真も女房の兄がカメラを持っていたが、フィルムがすぐに切れて披露宴の写真はわずか2枚だけしかない。クスン
真ん中の写真、男前と美人やろ!
当時はこの写真撮るために車で1時間位
かけて今治まで行ったんや。
けど、壬生川にも弓山写真館があったよなあ?
結婚式を挙げた北条の「大気味神社」です。
大学時代に母が三津屋に引っ越したので、突然「氏神さんが大気味神社」になったのです。
覚えているのが、神主さんが
「久しぶりの結婚式じゃからよう分からん」言うのを、仲人の伯父さんが「誰も分かれへんから、どうでもえ〜からごく短くやっとってや」というのが聞こえました。
ほんとうに、商売はよう儲けてるのに、やることは適当なんじゃからなあ。
そういえば、結納の日に、女房の家に行く時に梅田駅のロッカーに「結納一式」を忘れて、手ぶらできたんです。
そして女房の親に「あんなもん、邪魔なもんやからいらんやろ。」言うてけらけら笑っとった。
それでもまあ、仲好くしてるから案外と罰は当らんもんやのう。
「あれっ、大変じゃ、ひょっとしたら、
今年結婚40年なんかもしれん」
女房は旅行行っているし、どうしよう!
わたや旅館から少し港の方に歩いたら「本源寺さん」が
あった。小学校時代に、この両側の白い塀を壊して
建て替える工事をしていた。
学校帰りに見ると、壊された塀の土の穴の中には
「小さな蛇がいっぱいトグロを巻いていた」
友達とスグに家に帰って一升瓶を持って行って、
その蛇を一升瓶にいっぱい詰めて家に持って帰りました。
母と社員さんに思い切り叱られました。
ところで、日記の中に父の話が出ないと不思議に
思われますが、父はほとんど商売の場にいなくて、
毎日朝早くから船で漁に行って、漁協で何かしていて、
夜は友達と深夜まで酒飲んでいて、家に帰ってきたら
母に偉い叱られているので、ほとんど、
家には父の存在感なかったんです。
家の近くの本河原通りに「覚法寺さん」が
ありました。我が家は檀家なのですが、
父の自慢がここにあるのです。
本堂の軒にぶら下がった鐘を寄進したのです。
道路から見える角に下がっているので、
私も通るときには必ず見ていました。
壬生川の港はそ外海からは2q位、疏水のように内陸に
入ってきています。昔はそんなに海から遠くはなかったと
思いますが、地名を大新田という位、相当遠くまで
埋め立てたのでこんな奥まった港になったと思います。
この港の横にあるのが「鷺の森神社」です。
この神社には樹齢600年という大きな楠が何本もありました。
この楠には大きな「ゴイ鷺」が住んでいました。
この神社で遊んでいる時に「小さなゴイ鷺の赤ちゃん」が
落ちてきます。私はそれを持って帰って育てようとしました。
赤ちゃんなのにすごい量のドジョウを食べるんです。
だから目に見えて大きくなりました。
そして、鳥かごを壊す勢いになったし、目をつつかれそうに
なったので、大人が森に連れて行って捨てました。
鷺の森神社は元は「鷺の森城」という河野氏の
出城だったと聞いていました。
それを思い出して、周辺を見て行くと、
本堂の裏方にはお堀と石垣がありました。
前の港もお城を守るお堀だったと私は納得しました。
元の我が家の前の「共立病院」と元我が家の敷地の間は広〜い舗装道路になっていました。
私の兄貴もとうとうこの故郷に帰って住むことが無かったので、敷地をこの共立病院に売却しました。
それがこの右の円形屋根の建物になったのです。
元は2反(約600坪)あった敷地いっぱいに
介護施設ができていました。
母は、手前半分は畑にして、私たちが里帰りすると色々な野菜・果物が出てきました。
向こうの端が、多賀農協です。
母は、子供たちの家を巡回して回っていましたが、その都度、農協の金庫に貴重品を預ってもらっていたそうです。
壬生川駅まできました。
昔と比べると道路は広く綺麗になっているのですが、駅舎は、古く小さくてまったく活力を感じません。
向こうの大きな屋根が大きな駅を想像させるかも
しれませんが、向こうの大きな屋根は、「ミカンの選果場の屋根です。
私の前日に、この駅に特急列車を降りたのですが、
チケットはホームで、特急の車掌さんがとるのです。
駅員がいない「無人駅になったのか?と思ったけど、
そうではないらしい。
駅員さんは何処にいたのかなあ?
これは鷺の森神社の近くで見つけました。
けっして、矢野工務店の宣伝をしたいのではないのです。
その下の、阪神タイガース 大物ルーキーの
「秋山拓巳選手」が我が故郷の出身だということを
自慢したいのです。
JRの特急が停まる駅なのに無人駅になりそうだけど、人間は、大活躍する人物が多いよ!  エヘン!
終わりに・・・「壬生川」って「にゅうがわ」と読めましたか?

皆さん!長々と見て戴きましてありがとうございました。